仏 像 詳 細
不動明王八変立像 天地間の一切の衆生を救う
佛師 松久工房作品・材質 総本楠材・仕様 淡彩色仕上げ
仏 身
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高さ 50cm
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横幅 16cm
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奥行 13cm
台 座
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高さ 2cm
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横幅 21cm
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奥行 18cm
「大日経疏」に不動とは、真に清らかなさとりの心を表している。さとりの知慧そのものの現れである。
この尊の心は勇猛で力強く永久にあらゆる煩悩を打ち砕く。
須弥山のように揺るぎないさとりの心(菩提心)を持っている。揺るぎない心とは釈尊が成道したとき魔を退散させた知慧とその働きをいいます。
迦楼羅焔光を背に右手に貧・瞋・癡の三毒を殺す智剣を持ち、左手に降参しない者を縛り、仏の世界に引き上げる羂索を一本おさげ、母親が一人子を可愛いがるように仏が衆生を慈しむことを示す左に垂らした一本の弁髪が不動明王の容姿と慈悲の表現です。
※弘法大師「不動十九種相観想略領文」より
この尊は大日如来の化身でその使いとなって諸務を執る。
火生三昧にあって障害を焼き智災を成している肥満の童子形は、仏に仕える姿である。頂にもち※があるのは、さとりにいたる七つの修業を表す。
左に垂れる弁髪は、一子の慈悲を表す。額の水波のシワは、六道にあって苦しむ衆生を思いやる心である。左の一目を閉じているのは、平等に見るためである。上の唇を噛んで下の唇を出すのは魔を恐れさすためである。口を閉じているのは、戯論を滅することを表す。
右の智剣は貧・瞋・癡の三毒を殺害するためである。残り物を食べるさまは、あらゆる煩悩を食い尽くすことを表す。大磐石(だいばんしゃく)にあるのは衆生の重障を鎮めるためである。身体色が青黒で醜いのは、相手を降伏させる姿である。すさまじい忿怒の顔は、相手を威猛することである。火焔があるのは智慧の姿である。剣に龍が巻き付くのは、諸々の外道を摧滅(さいめつ)するためである。
矜羯羅・制多迦があるのは、正には順じ不正には従わないことを示している。
これは不動の誓願である。
真言は「ノウマク サマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」と唱えます
この作品は躍動感あふれる容姿。
佛師の思いが伝わる作品です。
振り上げた右手の倶利迦羅龍王剣、逆立った髪、利剣の位置(不動の利剣は八方向を指す)教化し難い衆生を屈服させんとする忿怒の相一歩踏み出し、非常な危険にさらされている切迫した事態において発揮されるのが、強烈な法力です。
〈五大明王〉
大日如来には五智如来という、東西南北中央の五つの変身があるように不動明王も五つに変身するのです。
中央の大日如来→不動明王 胎蔵界では持明院に
東方の阿閦如来→降三世明王 金剛曼では降三世に
西方の阿弥陀如来→大威徳明王
南方宝生如来→軍茶利
北方の不空成就如来→金剛夜叉
如来の命を受けて現実世界で衆生の利益のために働く使命をもっておられる明王たち。
降三世明王は三毒貧・瞋・癡、貪瞋癡を降伏し軍茶利明王は一切の悪魔、悪鬼神を降伏し、大威徳明王は毒蛇や悪竜を降伏し、金剛夜叉明王は仏教を信じない衆生を教化するのです。
※貪とは貪欲、瞋とは怒り・癡とは愚痴のこと。
〈密教の三輪身〉自性→正法→教令と命令
三輪身とは、まず大日如来を中心とする五智如来を自性輪身といい、法身と同じ意味で仏教の真理そのものとしての存在です。次が真理を説くために現れる菩薩に代表される正法輪身。そして三番目が教令輪身。教令輪身は自性輪身の如来の使者として頑張る姿で、これが不動明王を筆頭とする五大明王なのです。
合掌
一葉観音 正しい智慧で見て、さまよえる人々を救う
佛師 福井照明作・材質 日本産 本楠・仕様 載金入り淡彩色 一本造り
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総高 27cm
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横幅 38cm
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奥行 21cm
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台幅 43cm
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奥行 21cm
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高さ 1.5cm
観音さまは、三十三の姿に変化するともいわれてます。それこそ、無限に姿を変えるともいわれています。冠をかぶりそこに仏を載いています。阿弥陀如来は、すべての生きとし生けるものを深い同情の心をもって救う仏です。一葉観音さまは、水上の蓮葉に坐って居られます。
まるで蓮の舟に乗っているように見えます。弘法大師空海が唐に渡航の際、荒海の中を守護し日本に密教をもたらすことができました。
波切不動明王=波切観音菩薩
「摂無擬経」
三十三身の宰官身に当たります。
水難からお助け下さる観音で、舟仁、道元の祖師方が観音の守護を得たという説話があります。 合掌
福井照明の佛刻歴
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1947年 岐阜県益田郡下呂町に生まれる
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1971年 京佛師江里宗平氏に師事
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1978年 京都府伝統工芸技術コンクールに菩薩半迦像出品 優賞受賞
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1979年 独立 飛騨の山奥にて独自の修業に入る
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1980年 全日本工芸展 準優賞受賞 虚無菩薩
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1981年 日本総合美術展 優秀賞受賞 慈母観音
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1982年 日本総合美術展 優秀賞受賞、持国天断姓魔、日輝展 、三上賞受賞 戯貌慈
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1983年 名古屋市守山区翠松園に工房移転、日輝展芸術新聞社賞受賞 役行者
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1984年 結婚 この年より毎年アジア各国・アメリカ・ヨーロッパ等の仏教美術巡拝
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1986年 自宅工房にて初個展 日輝展、日輝会美術館賞受賞 龍炎観音
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1987年 日輝展、芸術新聞社賞受賞、翔雅
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1988年 日輝会美術協会理事・審査員・無鑑査となる。新岐阜百貨店にて個展
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1989年 新工房 “しょうみょうあん”完成。名古屋三越栄本店催事場にて3人展
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1991年 名古屋三越栄本店特選画廊にて個展
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1992年 静岡駅ビル・パルシェにて個展、日輝展、 日輝会大賞受賞 華生観音
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1994年 韓国教員大学校より招請を受け講演
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1995年 福田寺 戸谷朋生住職より授戒、臥雲照明 拝名 ぶつだん館 夢御堂にて個展 作品集「礼拝佛の美」出版
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1996年 ’96年度世界アーティスト オブ イヤー 受賞
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2000年 瑞泉寺 小倉宗俊老師より得度。日輝展、日輝会大賞受賞 持国天
受賞の模様
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2001年 ぶつだん館 夢御堂にて個展
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2002年 下呂町 合掌村にて個展
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2004年 日輝会美術協会常任理事・副会長となる
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2005年 恵那三十三観音の秋の御開帳にあわせて、「萬嶽寺」内会場にて個展
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2006年 作品集「礼拝佛の美II」出版
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2007年 しょうみょうあん第二工房完成
2015年 12月25日 永眠され仏の許に旅立たれました
私の作品の最も主張するところは、オリジナルを得意とすることです。
そしてどんなに複雑で難しい作品でも、何百年と生きてきた素材を一本の木から彫り出して造る。これが特徴です。
もう一つ付け加えるならば、如来、菩薩、天部、その他に限らず、同じ顔を造らない。その時々の天の意のままに彫刻刀を動かす自然体を心がけて居ります。
もちろん、その土台には揺るがしようのない伝統的な技術と精神がございます。 皆様方の御理解とあたたかい御支援に感謝致しております。
合掌
胎蔵界「大日如来」 大日如来総インド白檀- 全宇宙を司る中心仏
作者 工房作品・材質 総印度老山白檀・仕様 最上彫 木地仕上げ
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高さ 29cm
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横幅 15.5cm
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奥行 13cm
大日(ヴマイロチャナ)如来は摩詞昆盧遮仏ともよばれています。
仏教の二大要素である「理」と「知」を象徴するために法界定印の大日如来、知拳印の大日如来と二体に分けられています。
「除暗遍明」といって大日如来のじひは陰ひなたなく遍く照らし、あらゆる衆生に及ぶことを表しています。
今回の作品は、胎蔵生曼茶羅の法界定印を結ぶ大日如来です。この印は「離熱住三昧」を表しています。
熱とは、衆生を迷わす煩悩のことです。すなわちここでの大日如来は、あらゆる煩悩を離れたさとりの境地の三昧にあることを表しています。
左手は衆生、右手は仏を表すといいます。大日如来の世界では、もはや仏と衆生が一体となっていることを表すのです。
真言は「ア ビラウン ケン」と唱えます。
※印相について
仏の法力を手指の形で示したものが印相です。
大日如来はこういう格好で、と釈尊が指先を動かしてその仏の法力を説明しているのです。それぞれの法力を示すために特異な印相(降三世印等)をしたり、持物(錫杖、数珠等)を持っていますので、拝む側にとっては、その仏にどんな法力があるか、何をお願いすればよいかということがよくわかるようになっています。
※木彫像の技法について
日本の文化は「木の文化」であるともいわれます。
一本の材木から一体の仏像を削りだす一木造から始まり、平安時代後期になると、いくつもの木材を組み合わせてひとつの材とし、そこから像を彫り出す、寄木造の技法が登場しました。
仏像の材は硬い広葉樹の楠、材質がやわらかい針葉樹の榧、檜(縦に割るとまっすぐに割れる)等、木彫の技法に影響を及ぼしました。
※白檀について
心地よい芳香を持つ香木、原産地はインド、英語sandalwood サンダルウッド。
インドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ老山白檀という別称で呼ばれている。
現在、インド政府によって管理され、輸入規制がかかっており入手できない天然の資源の一つです。当店では貴重な香木、伽羅を始め、沈香(シャム沈香タニ沈香)インド老山白檀等、仏像、仏具、念珠(本連から腕輪まで)多数所有して居ります。お気軽にお問い合わせ下さい。
カスタマーQ&A
たとえば、沈香の散杖はありますか?伽羅の腕輪念珠はありますか?
白檀は環太平洋地域(インドネシア、オーストラリア、タヒチニュージーランド、ハワイ、フィジー等)広く分布していますが白檀の香りが少なく、色が薄い、香木としての利用は少ない。
但し、老山白檀が手に入らない今、現在流通しているほとんどの仏像や線香念珠(の珠)、仏具は、太平洋諸島の植樹された白檀を使う割合が多くなっています。
日本国内の流通経路で「トレサビリティが可能な食品」等と違い、仏像、仏具、念珠で使われる木の材質は、今日まで地球上の何処の資源であったのかが、非常に曖昧な部分でもありました。」
当店では、白檀製の表記も原産国をお伝えできるよう敢えて「インド産老山白檀」とさせて頂きました。
また総白檀の「総一」の表記は、すべて白檀を材料としている場合のみ使用致します。台座部分によく見られるのですが、土台となる中心部分に別の材質の木を使い、表面にだけ白檀の板を張り付ける(ネリモノ)には、総白檀とは、表示致しません。
合掌
別誂 阿弥陀如来来迎像 極楽に導いてくれる三尊無量の寿命を法力とする
作者 工房作品・ 材質 拓殖材・仕様 截金仕上げ
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高さ 23cm
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横幅 18cm
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奥行 8cm
西方の阿弥陀の世界で、そこいるたくさんの仏たちを阿弥陀仏といい、この西方の世界と仏たちを一つの塊としたのが阿弥陀如来です。
阿弥陀如来像を造るには、五劫年にものぼる長い修業と、十二の徳の光を表現しなければ本当の阿弥陀如来の姿にはならないのです。
理想郷である極楽浄土に住み、現世で生きる人々を救ってくださる阿弥陀如来。臨終の際に人々を迎えにくる仏でもあります。
極楽浄土には、九種類に区画された九品の世界があります。
臨終の際に生前の姿を見極め、その信仰の程度と善行の数に応じて九つの来迎印をつくり、それぞれに見合った極楽浄土へ導きます。
「九品来迎印」と呼ばれる印は阿弥陀如来独特のものです。
阿弥陀如来の左脇待として蓮台(蓮の形の台座)を持っているのが観音菩薩、右脇待として合掌しているのが勢至菩薩です。
この作品は、「無量寿経」に説かれる阿弥陀さまのお誓いに阿弥陀さまを信じてお念仏をする人、まさにこの世での命が終わろうとする時に、その人の前に阿弥陀さまが直々に極楽浄土よりお迎えにこられるという第十九願に基づいて造られて居ります。
蓮堂挙身光は仏の体から一丈の光が放たれている様子を表しています。
真言は「オン アミリタテイ セイカラウン」と唱えます。
別誂 蓮堂挙身光
材質 総木製・仕様 朱漆塗り 本金箔仕上げ極彩色 四方幕板透かし
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高さ 42cm
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横幅 34cm
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奥行 34cm
西方の阿弥陀の世界で、そこいるたくさんの仏たちを阿弥陀仏といい~真言は「オン アミリタテイ セイカラウン」と唱えす。
合掌
仏 台
材質 総木製・仕様 黒漆塗り 透金具打
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高さ 2.5cm
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横幅 10cm
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奥行 10cm
倶利伽羅明王 倶利伽羅身と現じて、九十五種の外道を降伏
作 者 紀籐英智・英蓮工房
紀籐英智(シルバーアーティスト)英蓮工房京都の仏具鋳物型師としても活躍中
主な作品 高野山奥之院七尺灯籠
セールスポイント岩座と剣と倶利伽羅は蝋型鋳造による一発鋳造です
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素 材:925シルバー
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佛 長:166mm
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火炎幅:62mm
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奥 行:50mm
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重 量:350g
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製造年:2004年
不動が九十五種の異教徒と論争されたとき不動明王が剣に姿をかえると、異教徒の代表も剣になって対抗したため、明王は龍(倶利伽羅龍王)となって屈伏させた。不動明王に念ず功徳が、一頭の黒龍に降り注ぎ、加護を受けることができる。
倶利伽羅明王と現ずる場合は利剣と索との二種の徳分、即ち、定と彗との功徳を表示します。
不動明王の三昧耶形(さんまやぎょう)は利剣(智剣)であり、貧・瞋・痴(とん・じん・ち)の三毒を大破する。
※三昧耶形とは、それぞれの仏を表す象微物の事です。※貧はむさぼり、瞋は怒り、愚かさの事です。 合掌
難陀竜王・歓喜龍王 雨乞いの神様「清めの水」
作者 工房作品・材質 総杔植物・仕様 木地仕上げ 一部金物仕上げ
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総高 29cm
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横幅 12.5cm
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奥行 11.5cm
難陀龍王は八大竜王の一つで、第一番に数えられる龍王である。また水天の待者でもあり、千手手眼観世音菩薩の眷属である二十八部衆の一尊でもある。
「この仏たちは、いったいどこにおられるんですか?」よくこの質問に答えるために「仏の世界観」を用い説明させていただいております。
難陀龍王・跋難陀龍王の二大龍王については、 ※蓮華蔵世界観をご覧下さい。
参 照
二大龍王真言は「オン ナンダ バナンダエイ ソワカ」と唱えます。
蓮華蔵世界観について
まず「ここに海がある」というとこから始まります。
その海からは大きな蓮華が一つ咲き出ていてこの蓮の花は、海いっぱいに広がるような大きさです。その蓮華の上部を見ますと、そこがまた海になっており、その海には小さな蓮華が無数に咲いています。そこで今度はその一つの蓮華を見ますとその蓮華の上も海になっているのです。
その海の周囲は鉄囲山といいまして鉄の山で囲まれています。これは水がこぼれないように鉄の山で囲っているのです。
その海の内部を見ますと四方に一つずつの島があります。東の島は東勝身洲、南は南贍部洲、西は西午貨洲、北は北俱盧洲といいあわせて須弥四洲といいます。この四つの島には、それぞれ小さな島が五百ずつあるというのです。
次に海の中心に目を向けますと、そこには七重になった金の山があります。これを七金山といい、その金山と金山の間には香りの良い水が漂っています。
さらに金山の中心を見ますと、そこに大きな山があり、これを須弥山というのです。
次に須弥山のふもとには二龍王といって難陀、跋難陀という二匹の龍が絡み合っています。
たとえ悪魔が金山を乗り越えて須弥山のふもとからよじ登ろうとしても、ここに二龍王がいて防衛しているのです。
お寺の本堂で斗帳が下げられています。そこには龍が二匹描かれています。上り龍、下り龍などといわれますが、この二龍王のことなのです。
次に二龍王の上を見ますと、三段階になっている夜叉宮というのがあり、たくさんの夜叉神がいます。彼らは一般に邪鬼ともいわれ悪者扱いされていますが、じつは善神なのです。さらにその上層の四段目に四天王宮があります。その上方は須弥山の一番頂上で忉利天といいます。
ここには梵天、帝釈天をはじめとする三十三天がいます。さらに須弥山の上空も二十五段階になっています。これを二十五部というのですが、それぞれ各部に無数の仏たちがおられ、その仏がすむ宮殿があります。
そこで格段の一体の像をよく見ると、仏のそばにいろいろな眷属の菩薩たちがたくさんついています。
さらに主なる仏の細部を見ると、頭の上に肉髻(お釈迦さまの頭の上のこぶのようにふくれている部分)から小さな仏さんがボコボコ飛び出しているというのです。この仏を化仏といいます。
この一つの蓮華のできごとは仏の数からいえばたいへんなことです。
二十五部の中に無数の仏がいて、その無数の仏から瞬間ごとに化仏が飛び出しているのですから。これが各蓮華にある須弥山の上空で行われています。ですからこの化仏が飛び交う須弥山は全部一つにつながった大きな空間に統一されてしまうと考えるのです。
この須弥山となる蓮華は一つだけでなくこれも無数だというのですから、たいへんな数です。
そこで一つの蓮華を千倍します。これを小千世界といい、さらに小千世界を千倍します。これを中千世界といいまたさらに、中千世界を千倍します。これを大千世界といいます。そこで千を三度かけていますので三千大千世界というのです。
さらにその上空に一体の仏がおられて全体を統括しています。これが毘盧遮那如来という仏で一番上で全体を統括しているというのです。
仏像に向かったとき、その像を造った仏師が何を表現しようとしていたか、何が言いたかったを知るにはまずその像の前後左右、つまり周辺に同じような仏がたくさんいると思えばよいのです。
そのたくさんの仏に自分が包まれたと感じた時自分の体に一体の化仏が飛び込んできます。この目に見えない化仏を感じさせること、ここに蓮華蔵世界観の教えが秘められているのです。
残り二つの仏の世界観は後程記載致します。
合掌
弥勒菩薩 半跏思惟像 現世的な弥勒浄土
佛師 工房作品・材質 総木製・仕様 漆箔仕上げ
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高さ 32cm
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横幅 13cm
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奥行 16cm
釈迦の入滅後、五十六億七千万年後に、如来(仏)として地上に現れて人々を救う。未来において必ず仏となる未来仏あるいは当来仏で弥勒如来とも尊称されるわけです。
「弥勒三部経」現在は兜卒天で説法をくりかえし、修行を積み重ね、やがてきたるべき時を待っているのです。
竜華三会の説法・・・下生され六万年の間に竜華樹の下で三度説法されます。下生信仰
死後において弥勒の浄土である兜率天に生まれて、下生の時を待とうという上生信仰
弥勒(音写してマイトレーヤ)(漢訳慈氏慈尊)慈からうまれたもの、いつくしみ深い、これは仏教の理念でもあります。
この半跏思惟像は、兜卒天上でやがて訪れる下生の日にそなえて静かに瞑想するお姿です。
真言「オン マイタレーヤ ソワカ」「オン バイタレーヤ ア ソワカ」と唱えます。
一言
仏の見ている世界は、雄大な宇宙なのです。弥勒さまの視線は前方を見ているようで目の前を見ていない、少し下を向いているように見えても拝んでいる私たちに視線を向けてくれているわけではないのです。しかしそのお姿にみとれているうちに、自然に自分も瞑想に入るような、三昧の境地に達します。
宇宙のもつ偉大な力、法力、これが仏であります。体は金色で肌の色が金色で体から光が出ている。皮膚は細やかで滑らかで清浄で汚れがない。
額は広くて円満であって平らである。眉毛は非常に長く、細く、毛の一本一本が細かくてやわらかである。三日月(初月)のようだ。
目玉(瞳)は金色であって、少し青みを帯びている。唇の色は頻婆果という果物の色に似ている。巌かなお顔。
上半身は円満な相で両肩は、肉が豊かで丸味があり妙なる形である。
作者の想い・・・ご縁ができますように
合掌
聖徳太子像 日本仏教の開祖
作者 工房作品・材質 檜・仕様 淡彩色 截金仕上げ
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高さ 39cm
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横幅 16cm
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奥行 14.5cm
鎌倉時代に日本の釈迦として信仰され、たくさんの太子像がつくられました。
〈幼年期〉二歳のとき東を向いて南無仏と唱えて合掌されその時御手から舎利が出たという伝えによる南無仏像
〈少年期〉十六歳のとき、父用明天皇の病気平癒を柄香炉を棒げて祈願したという孝養像
〈壮年期〉推古天皇の摂政として冠位十二階を制定した三十二歳の時の衣冠姿の摂政太子像
仏教興隆に大きな貢献をした聖徳太子に対する信仰ゆえ、太子と結びつける特殊な仏像もあります。
七福神 福禄寿 道教の神仙・長寿を賜る神
作者 京佛師 中西祥雲・材質 本楠材・仕様 淡彩色仕上げ
総高(杖含)
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高さ 40cm
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横幅 28cm
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奥行 14.5cm
仏 身
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高さ 40cm
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横幅 16cm
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奥行 12cm
まずは、七福神について・・・仏神混交の民間信仰
一、弁財天(豊穣の女神・財宝を与える女神・技芸上達の女神)
弁財天の由来は、他の天部像と同じようにインドのヒンズ一教の「サラスバティ」という水の女神で、名前は聖なる川の意味です。
二、大黒天(戦闘の神・財福の神・魔天と同じ〈インド由来〉)
インドの名前をマハー(大きい)・カーラ(黒)。体の色は青黒色。顔は三つ、腕は六本、忿怒のお顔。「オン マカギャラヤ ソワカ」と唱えます。
中国からインドを旅した僧・義浄は、インドの寺院や倉の入り口には、袋を持ち椅子に座った神像がまつられ、それはいつも磨かれているので黒々としており、それでその神像を大黒天と呼ぶと伝えております。〈インド由来〉
三、福禄寿(幸福・封禄・長寿)
南極老人星の化現。寿老人と異名同神であるが、頭が〝とても長い〟のが特徴
もともとの中国の道教で信仰された仙人です。
長い髭をたくわえ、杖をついた老人の姿で鶴をつれた像もあります。
道教で希求される三種の願い。幸福(子宝)封禄(財産)長寿(健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものです。福禄寿はもともと福星、※星、寿星をそれぞれ神格化した、三体一組の神でもある。(三星信仰)
真言は「オン マカシリ ソワカ」と唱えます。〈中国由来〉
四、寿老人
寿老人は起源やご利益も福※寿と同じ。
不老不死の仙人ですので、長寿の神ということになります。
日本の七福神の一人としては白髪明神とされる
真言は「オン バザラユヤイ ソワカ」と唱えます〈中国由来〉
五、布袋(富貴繁栄をつかさどる)
支那五代の聖人、弥勒菩薩の化現といわれています。中国に実在した僧侶。
太っ腹、つまり寛容な精神の象徴です。〈中国由来〉
六、恵比寿(海神・寄り神・水の神)
日本の神話の神「えびす」という神は複数あり、イザナギ、イザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)か、もしくは、大国主命(大黒さん)の子である事代主神(ことしろぬしかみ)とされることが多い〈日本由来〉
七、毘沙門天 梵名 ヴァイシュラヴァナ(財宝神)
仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では多聞天として表される。
帝釈天の配下として仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護するとされる。※クベーラは地下財宝の守護神でローカパーラ(インド神話の神)の一人でもある。
真言は「オン ベイシラ マンダヤ ソワカ」
※「マハーバーラタ」のローカパーラは仏教の十二天とほぼ一致している。クベーラ=※沙門天北方の守護神〈インド由来〉
合掌
仁王像- 阿形像「金剛力士」吽形像「密迹力士」
寺門や須弥壇の左右に安置され、外敵を外う
作者 工房作品・材質 総本楠材・仕様 最上彫、木地仕上げ
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高さ 37cm
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横幅 16cm
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奥行 9cm
梵名 バジラ・バーニは、仏教の護法善神。
門に金剛を立て、内に仏身を置く。この仏身とは、本来自性の理のことである。
「大宝積経」
この世を統一する転輪聖王に勇郡という王さまがおり、王には千人の太子(仏となる賢劫千仏)と二人の王子 法意王子(金剛力士)、法念王子(梵天王)がいました。法意王子が金剛力士となって仏法を守護するという誓いをたてています。門の両そでに置かれている二体は密教では「阿」はすべてが生じる心の源、「吽」はそれらが帰着する智徳を意味するものとして、二体は一体の分身と考えます。
筋骨隆々として力一杯に勇壮な姿はかつての西洋の像で杵を持った像がモチーフになっているのではないでしょうか。その素晴らしい体格に憧れて健康を祈る信仰が生まれました。人生すべての内(智慧もって心を開発)と、外(身体を癒す)をさとられた法で導く
真言「オン ウーン ソワカ」
合掌